La marchande d'Amours
フランスアンティークビスキュイ
こちらは19世紀後半につくられたビスキュイ像です。
空間に置くだけで瞬時にフランスの雰囲気を運んでくれるビスキュイ像。
大変繊細で壊れやすく、良い状態で残されるのが最も難しいと言えるこのアイテムがこのように素晴らしい状態で私たちの目の前にあるのは、当たり前のことではありません。
このビスキュイ像のルーツは、はるか2000年以上前の1世紀にまでさかのぼります。
西暦79年(1世紀)イタリアのベスビオ火山が噴火し、その灰の下に消えた有名な古代ローマ都市、ポンペイ。そのポンペイから南西4.5㎞の位置に、同じく噴火で喪失したスタビアエという小さな港町がありました。
ポンペイ及びその周囲の消えた街々は18世紀に発掘され フランスの流行にも大いに影響を与えましたが(ネオクラシックの始まり)、その流れのなかで1759年にスタビアエで発見されたのが、今回のビスキュイ像の元になった壁画(フレスコ画)です。(※写真掲載)
街に火山灰がびっしりと覆い風にも雨にもさらされなかったことで、街の風化は随分と抑えられ 非常に良い状態で残っていたといいます。
西暦79年より以前に描かれたものが約1700年の時を経てはっきりと現れたのですから、発見した人々が大興奮であったのは想像に難くありません。
このフレスコ画は銅版画などとなってまもなくフランスへも渡ります。
この時期に、この画を題材にした絵画や彫像などのアート作品が多数作られていることから、フランスのアート界にも大きな影響を与えたことがわかります。
中でも特に有名なのは Joseph-Marie Vien:ジョセフ-マリー ヴィアン が1763年に描いた油絵「La Marchande d'Amours:天使を売る商人」で、この作品は現在フォンテーヌブロー宮殿美術館が所蔵しています。(※写真掲載)
話はこのビスキュイ像に戻ります。
こちらのビスキュイ像のベースとなる彫刻を作ったのは、Louis-Simon Boizot:ルイ-シモン ボワゾ。
ボワゾは18世紀に活躍した大変有名な彫刻家で、特にビスキュイ像を得意とし、ネオクラシックスタイルの素晴らしい作品を多数残しました。
壁画がテーマのその作品も 壁画発見と同時期に作られており、彼もまた はるか1700年ほど前に描かれた壁画に魅せられた一人だったと想像します。
そして19世紀、パリの隣に位置するモントルイユで活躍していた こちらも大変有名な Samson:サムソン が、そのボワゾの作品でこのビスキュイ像を製作しました。
サムソンは陶磁器製作で名を馳せた会社で、自社オリジナルの素晴らしい作品を多数残したほか、18世紀の作品の複製にも大変力を入れていました。
非常にハイクオリティな品々を作ることで有名で、その作品は今もコレクターたちの間で高値で取引されています。
天使が計4人、女性が3人。それぞれの顔や髪、服のドレープなど大変精巧で手の込んだつくりになっており、それらが幅30㎝に満たない土台にひしめき合う様子は実に壮麗です。
白い素焼きの磁器は柔らかく儚い印象ですが、それでいてこのようにパワフルでゴージャスな雰囲気を表現してるのは 見事と言わざるを得ません。
造形の質の高さはご覧いただけるとおり素晴らしいものです。それぞれの動きや表情から見えるストーリー性などは、このビスキュイ像や掲載している参考写真から自由に想像してみてください。
スタビアエの壁に描き残した人物が、“天使を売る”ということをどのようなニュアンスで表現していたのか、現代の感覚ではなかなか理解するのに努力が必要ですが、
ひとつたしかなことは 私たちの目の前にあるこのビスキュイ像のストーリーが、実に2000年も以前から現代に繋がっているということです。
スタビアエの壁に描かれてから18世紀に発掘されるまで、そして形を変えた作品として私たちの前に運ばれるまで。アートを愛する人々によって脈々と受け継がれ、そしてそれが数えきれないほどの人々を感動させ影響を与えながら、ストーリーは続いていく・・。
気が遠くなるほどスケールの大きな話ですが、人間がアートへかける想いの軸が 2000年前からさほど大きく変わっていないと教えられているようで 、非常に心に染み入るものがあります。
その背景を何も知らずとも強く心惹かれるこの美しい像の、壮大なストーリーに想いを馳せて
溢れるロマンと共に後世までいつまでも受け継がれてほしい、至極の逸品です。
タイプ: ビスキュイ | スタイル: Néo-classique | 年代: 19世紀後半 | 輸入国: France - Montreuil |
材質 | ボディ: ビスキュイ | 表面: | 仕上げ: |
サイズ | 横幅: 26 cm | 奥行: 19 cm | 高さ: 31 cm |